2012年6月16日土曜日

橋下市長への違和感とエネルギー政策

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以前のエントリで大阪ダブル選挙の話題に触れましたが、最近になって橋下市長や大阪維新の会の考え方に違和感を覚えだしました。

考え方は人それぞれなんだし、私だって「自分自身の考え」があります。
考え方なんて他人と一致する事もあれば誰とも一致しない事も多々ありますよね。

ですから、橋下市長や維新の会の考え方と、私自身の考え方が違ったとしても、今回ほど違和感を感じる事なんて無いんですが・・・

今回に限り激しい違和感を感じたのは、恐らく原発関連の話題だからだと思います。

なぜ橋下市長は「脱原発!大飯原発再稼動反対!」の発言をしたのか?
世論に背景にしたポピュリストならではの主張だったのでしょうけど・・・

世論を背景にした主張であったならば、なぜ土壇場になって「怖気づいた」とコメントし、再稼動容認の立場になってしまったのか?

関西地区の場合、原発無しの電力供給量では必要な電力需要には程遠い事など最初から判りきっていた事なのに、土壇場まで「再稼動反対」の主張を繰り返し、ギリギリになって容認するというブレ幅が大きかったからだと思うんですよね。

ポピュリストって奴は世論を反映するだけで、己の判断とか見識を必要としないんだろうか?

私自身は、我が国のエネルギー政策としてはベストミックスという戦略がベストだと考えていますので、原発も必要だと考えています。
原発立地県に住んでいますし、玄海原発からは20キロほどの距離です。

原発立地自治体には、原発関連の雇用・助成金等々のメリットがあるのも事実です。
だからといって「原発利権が云々」という意見には賛同できません。

原発関連の雇用は、インフラの整備・維持に始まり、各施設の建設・建築や保全、さらには定期検査の為に他の地域から出張してくる作業者の宿泊施設など多岐に渡ります。
それらを含めて「利権だ」・「利権構造だ」というのであれば、他の電源施設だって同じ事が言えるでしょう。

火力発電だってインフラ整備・建設・建築・維持管理費は必要です。
水力発電だって似たようなものです。しかも揚水発電は発電というより蓄電といったほうが正しい。

風力に至っては、騒音・低周波による健康被害を慢性的に垂れ流しているし、バードストライク等による故障や強風時には使えないという問題を抱えています。

太陽光発電は採算ベースに乗らないし、地熱発電など他の発電方法は今から建設しなきゃダメなので実用化は数年から十数年後になるでしょう。

私にとって「原発利権をナントカしろ派」の人たちの言い分は、「原発の利権を他の利権団体によこせ!」といってるようにしか感じられません。
原発関連のインフラ・建設・建築・維持管理費が、火力・水力など他の発電施設の費用に変わるだけの事です。まさにクレーマーの論理なんですよね。

ただし、現在のように火力・水力・原子力の3つの発電に依存した政策ではダメだと思います。

三本柱といえば毛利元就の「三本の矢」をイメージして、万全の体制のように考えがちですが、電源喪失がどんな影響を与えるか考えれば、三本柱では不安でしょうがない。

せっかくベストミックスというベストな戦略を持っているんですから、三本柱ではなくさらに多くの発電をバランスよく行うべきでしょう。

安全率を20%程度と考えるならば、100万キロワットの需要があるなら120万キロワットの発電能力が必要で、120万キロワットの内訳は原子力、火力(石油・石炭)、火力(天然ガス)、水力で各20万キロワット、太陽光、地熱、風力で各10万キロワット、その他の発電(新技術を含む)で10万キロワットという具合に分散させるべきです。

事故等のリスクを分散させる事により、万が一の事態に陥っても電力が不足しないようなシステムにしなきゃダメだと思うんですよね。

各発電への依存率が20%を超えないシステムにしなきゃ、何か不測の事態が起きるたびに電力が不足する事態に陥ってしまいます。

現代社会はそういう複雑な問題を抱えている訳だし、誰もがエネルギー問題は重要だと感じているはずです。

今回の橋下市長の行動は、彼の原発に関する知識・電力需要に関する認識不足が招いた迷走だと言わざるを得ません。

特に原発に関しては、原発を再稼動すれば今日明日にでも発電量がピークになるようなイメージで捉えていた可能性が高い。
とても「発電量がピークを迎えるのは、再稼動から数週間後」という認識があったとは思えないんですよね。

政治家は市民の生活を守るのが一番重要な仕事なのに、生活に必要なエネルギーに関する知識・認識不足は致命的な欠陥だと思うんです。

私が橋下市長および維新の会に感じた違和感は、国民・市民の生活に必要不可欠な電力について、余りにも軽く考えているんじゃないかという疑惑から生じていると思うんです。