2010年5月15日土曜日

NHK朝の連ドラ

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前作のウェルかめも毎回かかさずに見ていましたが、現在放送中のゲゲゲの女房も毎回見ています。

NHK朝の連ドラは、NHK総合で朝8時15分から放送されていましたが、ゲゲゲの女房から朝8時からの放送になった。

視聴率の改善が目的なんですが、効果はどうなんでしょうね。

前作のウェルかめは、個人的には好きだった。

しかし、ゲゲゲの女房もなかなか面白い。

昭和生まれの昭和育ちである私にとって、懐かしい雰囲気を持つ番組になっているんですね。

私は特に懐古趣味な訳ではないが、少年時代を思い出す番組は好きです。

まあ~少年時代を思い出す番組といえば、昭和40年代前半に生まれた私にとって、ナンバーワンは初期の「ちびまる子ちゃん」である。

百恵ちゃんが好きで、ドリフターズの「8時だよ!全員集合」に熱中していた少年時代を思い出すのだ。

40歳を過ぎて少年時代を懐かしむようになったのなら懐古趣味というのだろうが、私の場合は20歳前後のころから「ちびまる子ちゃん」が好きであって、恐らく同じ時代を共有している印象が強くて、一種の仲間意識のようなものかも知れない。


話を戻して・・・

ゲゲゲの女房の場合は、私が生まれる前の昭和30年代が舞台なのですが、東京の昭和30年代と地方の昭和40年代は同じ雰囲気を持つ社会だったのではないかと勝手に推測しています。

「昔は良かった!」などと思うのは歳をとった証拠なんだろうけど、「じゃ~あの頃に戻って生活してみるか?」と聞かれると答えは「絶対に嫌だ。」というであろう。

そりゃ~日々の生活に追われる事はなかったが、それは子どもだったからであって、当時の大人も生活のために苦労していたと思う。

ゲゲゲの女房は貧しい漫画家の日常が描かれていて、妙にリアルである。

昭和40年代の田舎町には数件の貸本屋が存在した。

私の記憶にある貸本屋のイメージは、いつも店内が閑散としていて薄暗く、子どもが一人で入るのは抵抗がある感じだった。

ちなみに「ゲゲゲの鬼太郎」はテレビアニメでみていたが、「墓場の鬼太郎」を貸本で読んだことはない。まだ文字も読めない幼児の頃の話である。

私は、そんな事を漠然と思い出しながらゲゲゲの女房をみているんですが、昭和30年~40年前半に生まれた人にはノスタルジックな番組だと思うので、是非お奨めしたいと思う。

2010年5月7日金曜日

働く意味について考えてみた

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ボンヤリとネットサーフィン(未だにこういうのか?)していたら、面白いものに辿りついた。

アメリカンジョークらしいけど、人の幸福について真理をついている気がした。


億万長者

億万長者
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。
すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。 そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。 そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
引用:http://www.geocities.jp/fhxtk948/Joke003.html

たしかに、この話を聞くと「なんだよ、それじゃ~今の生活が人生の目的地なんじゃないか」って思いますよね。

なかなか面白いお話です。

しかし、それでは何のために働くんだろう。

この話を日本の社会に当てはめると「それじゃ~拙いんじゃないの?」って事になるんだけど、気がついた人はいるだろうか。


死ぬまで働き続けなきゃいけない

物語の中の漁師は、今の生活を一生続ける事になりますよね。

億万長者になって子どもと遊んだり、奥さんとお昼寝したり、夜になると友達と酒を飲み、ギターを弾いて歌を歌う場合は、その後の生活に何の不安も無いわけです。

ところが、今の生活を続けた場合は「明日魚が獲れなかったらどうするの?」とか「子どもが大病を患ったときは?」とか「体が不自由になって、漁に出られなくなった時には子ども達は自分をちゃんと養ってくれるのだろうか」といった不安が付きまとう事になります。

そういう事態に陥ってしまった時に「あ~やっぱりアメリカ人旅行者の言うとおりにしておけば良かった」って事になるんじゃないか?


しかし、このまま人生が平穏に過ぎていく場合もあるんですよね。


今のまま平穏な生活を続けるか、それとも不安を取り除くために今以上に働いて富を築くのか。

それは人それぞれ考え方が違うだろう。


不安を取り除くために働くのか

ここでちょっと考えたんですが、という事は「我々が一生懸命に働いているのは、今の生活の為ではなく将来の不安を取り除くためだけに働いているようなものではないか。」と思ったわけです。

一日に食べる分だけ働くのであれば、今のように働く必要は無いんですよね。

少なくとも物語の漁師が今以上に働く意義というのは「将来の不安を解消する為」って事になるんじゃないか。

将来訪れるかどうかも判らないリスクを取り除くために、今以上に働くって事ですよね。

そのように考えると、この物語は非常に深い話になります。

労働自体が「生きる為」ではなく、将来の不安の解消なんですから・・・これはジョークの範疇を超えて「何のために働くのか?」という問題のエクスキューズになってしまいます。


時々こういう面白いものに出会うからインターネットはヤメラレナイ!


結局どっちが幸福なんだろう

どっちが幸せか?なんて私に判るわけが無いですよね。

幸福という曖昧な問題に対して結論なんて出しようが無いんですから・・・

どういう時に幸せを感じるかって、それこそ人それぞれだと思うし、答えなんて無いと思います。

少なくとも、こういう面白い疑問に出会えるだけで、充分幸せを感じる私がいるんですから。