2009年5月14日木曜日

資本主義と社会主義と、時々共産主義

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社会に対して思ったこと

資本主義や社会主義、共産主義など社会を構成する主義主張と言うモノは、人それぞれ違いがあって、当然だと思うし、この3つの主義には明確な幹がある。

民主主義や自由主義にも明確な幹があると思うが、かなり曖昧な主義である事は否めない。

民主主義

民主主義とは、主権在民に基づく主義主張であって、日本の場合議会制民主主義を採用している。

民主主義とは、ぶっちゃけ多数決主義と言い切ってしまっても過言ではないというか、多数決主義そのものだ。

多数決主義と言い切ってしまえば、一本筋が通るので、私は民主主義イコール多数決主義だと言い切ることにしている。

自由主義

自由主義とは、読んで字の如く自由を主張する主義であり、現在の日本は自由主義の色合いが濃い民主主義だと考えている。

完全なる民主主義とは、完全なる多数決主義で、マジョリティーがマイノリティーを駆逐する可能性が色濃く存在する。

しかし、現在の日本は、マイノリティーにも一定の理解を示し、多数派が国内を牛耳ってしまうような環境ではない。

政党で言えば、自民党や民主党は多数派に属し、完全なる民主主義国家だと、自民・民主の多数派が国会を支配し、独裁色が強くなるだろう。

2大政党制とは、単独政党による独裁色を払拭するが、二つの政党による共同独裁という印象のシステムだ。

自民党も民主党も、首までドップリと資本主義に浸かっているので、日本の政治は資本主義を中心にした多数決主義だと言える。

そこに、公明党や社民党、共産党が複雑に絡み合う事で、マイノリティーの主張が反映されるシステムになっている。

資本主義

資本主義は、主に経済に関する主義主張なのだが、金持ちの金を労働者に対し、労働の対価として支払うシステムであり、経済(資本)を中心にした主義だと言えるだろう。

共産主義

共産主義は、経済や政治など幅広くカバー出来る主張であって、世の中の富や権力を世の中の人全員で共有しましょうという考え方。

社会主義

社会主義とは、世の中(社会)を基準に個人を考える主義で、戦前の日本は、社会主義の中でも国家社会主義と言える。

社会が縮小傾向にある現在では通用しない考え方で、社会主義の主張は国家間から国際的に変化して、国際社会主義にならなければいけないと思う。

国粋主義も結構だが、世の中は交通機関の発達により縮小している。

人類が宇宙で活躍しようという時代に、国粋主義的国家社会主義は時代遅れというか、現状にマッチしていない。

今後、社会主義は国際社会主義に変化しなければならない。

国際社会の一員としての国家。 国際社会の一員としての会社。 国際社会の一員としての個人。

という考え方が必要だ。

しかし、日本人の大多数は、会社人間である。

休日出勤、休日の接待ゴルフなど、大半を会社中心で過ごすし、会社中心の考え方をする人が多い。

会社主義と言えるだろう。会社主義は国家社会主義と自由主義の狭間にある。

それぞれに良いところがある

資本主義・社会主義・共産主義・民主主義・自由主義それぞれにいい所がある。

資本主義は、経済成長に優れている。

社会主義は、世の中全体を考え、成長させる。

共産主義は、皆で共有する事で、貧富の差を小さくする事が出来るので、弱者救済に力を発揮する。

民主主義は、多数決主義という側面から、多数派の意見を反映しやすく、不満に感じる人たちが少なくなる。

自由主義は、個人の自由を尊重するので、究極の自由主義は個人主義である。

資本主義の反対は共産主義

社会主義の反対は自由主義(個人主義)

民主主義の反対は独裁というかファッショと言えるだろう。

それぞれにメリットがあり、同時にデメリットが存在する。

現在、日本には独裁やファッショは存在しない。

実は、日本人が嫌いな独裁にもメリットがある。

なんせ、話し合いの余地がないから、決断が早い。

すぐに行動に移せるから、成果を出し易いし、全てにおいて迅速に行動出来る。

反面、デメリットはマイノリティーによる独裁だったら、マジョリティーには不満が募るし、話し合いの余地がないから、誤りに気がつくのが遅くなってしまう。

民主主義だと、常に話し合いが必要なので、決定に時間を要し、決定しない可能性も残る。

その決定までの時間を少しでも迅速にするために議会制民主主義を採用している。

議会制だと、国民全員の意向を確認せずに済むから、決定・行動が迅速になる。

それでも独裁国家のようなスピードは望めないのだが・・・

私が考える理想国家とは

資本主義と社会主義と、時々共産主義という考え方だ。

経済は成長を続けないと破綻してしまう。

貨幣を利用した社会というものには、常に金利が存在する。

金利分以上の成長を続けないと、経済は破綻するのだ。

物々交換の時代なら、経済成長など考えなくてもいいのだが、貨幣制度を採用した時点で、経済は常に成長し続けなくてはならないと言うノルマが生じるのだ。

成長が事務付けられている以上、経済的には資本主義を採用しないと金利に経済成長が追いつかない。

昨今の日本では、自由主義というか個人主義が強く、自己中心的発想の個人や法人が多い。

テレビなどは顕著で、スポンサーの不利益になる報道はしない。

スポンサー利益に繋がる事は、小さな事件でも大々的に何度も報道する。

テレビは公共の電波を使用しているのに、特定の個人や法人の為に利用されているのだ。

私に言わせれば、官民の癒着で、公共工事による不当な利益を得ている大手ゼネコンと、公共の電波を使って不当な利益を得ているテレビやラジオは同じ穴の狢に過ぎない。

やはり、社会的な見地にたって考えるべき事が多いと思う。

経済は資本主義、政治は国際社会主義がいいと思う。

ちなみに誤解が無いように断っておくが、日本における旧社会党や現在の社民党などは、社会主義ではない。与党に対するアンチテーゼであり、彼らの主張は「主義」と言えるものではなく、タダの屁理屈である。

資本主義の場合、どうしても格差や貧困が副産物として生じてしまうので、時々共産主義が必要。

資本主義の欠点を、共産主義という対処療法でカバーするという考え方だ。

自由主義にも良い所は沢山あるが、現在日本の自由主義は限りなく個人主義に近づきすぎていて、統率力の無い民族になりつつある。

米国型自由主義は、たぶんそう遠くない未来に崩壊する。

アインシュタイン的未来予想

アインシュタインは、

「第三次世界大戦はどう戦われるでしょうか。わたしにはわかりません。 しかし、第四次大戦ならわかります。石と棒を使って戦われることでしょう。」

と語っています。

自由主義の最終到達点は、個人主義であり、個人主義が世の中の大勢を占めたら、軍隊や大量破壊兵器など必要ない。

個人VS個人の戦いには、石と棒で充分なのだ。

私ははじめて、このアインシュタイン名言を聞いたときに、全く意味が判らなかった。

しかし、米国型自由主義の行き着く先を考え出したら、究極の自由主義は個人主義であり、個人主義が世の中の大勢になる。という考えに至ったときに、初めてアインシュタインの言葉の意味が理解出来た。

第三次世界大戦は、経済戦争だと仮定するならば、アインシュタインが主張する第四次世界大戦は間近の迫っていると考えられる。

自由主義とは、最終的に個人主義に到達し、社会という概念を粉砕するものなのだ。

そこには政治などというモノの存在意義は無く、ただ個人と個人が存在するだけである。

当然、共存という言葉など無くなっているだろう。

社会や政治を語る上で、自由主義という考え方は相容れない考え方なのだ。

よって、私は「資本主義と社会主義と、時々共産主義」というスタンスで、今後の社会は成り立っていかなくてはならないと思うのだ。

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